最近読んだ本のことを書く。
☆「対岸の彼女」角田光代著 文芸春秋
若いとき、対人コミュニケーションが苦手だった二人の女性の友情を描いた小説。
一人は娘が一人いる母親、小夜子。公園でも他の母親たちと打ち解けられず、娘も友だちができないので、保育園にやれば友達ができるか、と思って就職することにする。
もう一人は小夜子が就職した会社の社長、葵。独身。旅行関係の仕事からハウスクリーニングに手を広げてる。小夜子は掃除婦としてそこで働くことになる。
葵も小夜子も高校生のとき、女子高生のグループ内での陰湿ないじめや仲間はずれを経験し、葵は一人の友人ナナコを守りきれなかったことがある。
その様子を読んだときは、本当にやりきれない気持ちになった。
女子高生のいじめ...恐いなあ。
ちょっと誘いを断っただけで、ちょっと他の仲間と違っただけで、グループからはじきだされる。
それに対する対処法は、「一人でも平気」という精神だ。
ナナコが言っていた。
「何もこわくなんかない。こんなところにあたしの大事なものはない。
いやなら関わらなければいい。とても簡単なことなんだ。」
ナナコがいなくなって、ひとりぼっちになってから、葵はその言葉の意味を理解する。
大人になってからも、母親同士で、高校生と同じような確執が存在する。
たとえば働く母親と専業主婦。こどもを塾に通わせる母親と通わせない母親。それぞれにグループを作って架空の敵をつくり、一時、強く団結する。でも、ちょっとしたことで、だれかが仲間はずれになったりする。
葵の言葉。
「私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?
友だちが多い子は明るい子、友だちのいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思いこまされてんだよね。
――――けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友だちよりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。」
私たちは何のために年を重ねていくんだろう?
そう考えると寂しくなってしまうけど、最後の葵と小夜子の全然立場は違うのに変わらない友情にほっとさせられた。
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対岸の彼女がすごくすごく読みたくなりました。何だかどこにでもありそうな話だから、共感するところが多いのではないでしょうか。
少し話しがずれますが、日本に久々に帰ると、電車や街中、至る所で始終携帯電話を使っている光景に少し違和感を覚えます。こちらでも携帯電話はみんな持っていますが、日本とはちょっと違うかな。ドイツは保守的な国だからかもしれませんね。