素敵な本にめぐり合った。もう何回も読み返してる。それでも全然飽きずに何度でも読んでる。
この小説は設定が100年前。主人公は若い青年で作家だ。貧乏だが、空き家になった、なんとも不思議な古い家の管理を任されて住んでいる。
その庭がまたいい。疎水の水を引き込んで池をつくってあり、縁側で釣りができる。その池には河童が紛れ込んだり、鮎くらいの小さな人魚がふっと現れたりする。
庭にはいろんな木が植えてあるが、サルスベリなんかその青年に恋をしたりもするし、ムクゲが満開になるころには、それを助けとして聖なる女人の姿が立ち現れる。
床の間の掛け軸からは亡くなった親友が時々舟に乗って会いに来るし、掛け軸に描かれているサギも時々庭に出てきて、河童とけんかしたりしてる。そのけんかを仲裁するのは、ゴローという飼い犬だ。なかなか利口な犬で仲裁犬として有名になり、揉め事があればよばれており、その名は鈴鹿山脈あたりまで達しているらしい。
私が一番好きな話は白木蓮の話だ。
ある夜、雷が白木蓮に落ち、それで白木蓮が孕んだ。時期ではないのに、つぼみが膨らみ、雷の鳴る日に花びらがはらりと落ちて、中から白い小さな竜が孵りしゅうっと天へ昇って行った。
その光景を想像すると楽しくなる。
まだまだ素敵な話がたくさんあるんだけど、それは実際に本を手にして読んでみてね!おすすめです。
画文集の絵と文章に魅了され、読み進むうちに、あるページで手がとまってしまった。
彼女の凛とした生きる姿勢に打たれて、しばらくぼうっとしてた。
以下にその文章を書き写す。
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私は外とのつながりをすべて断ち切り、アトリエに閉じこもる生活をじしんに課した。季節外の軽井沢では可能である。孤独の生活が守られた。私の相手は絵画以外、周囲のもの言わぬ自然だけである。
しかし軽井沢の沈黙の生活は苦しい試練の日々でもあった。みずからの愚かしさ、人生の空しさ、後悔、慙愧に胸を噛む思いである。悶え苦しみ、あえぎ、心臓を引き裂く思いのときもある。それらは山をおそう霧のように忍び寄り、風のように去っていく。
自分が納得できる作品を描きたい。じしん満足いくまで追求を重ねる。あるとき、満足感を手中にしたかと思われる幸福感、充足感も、束の間に消え去り、崩れ去って、また、いっそう次の欲求のとりことなる。
幸福は須臾の間に去り、苦痛だけ、絶望だけが長く残る。
人間の業の深さである。
白い雲が流れ、浅間は煙を吐き、ときに火を噴き上げる。この美しい山深くわけいり、あの樹林の中で一服薬を飲んで横になれば、楽になる。この業火から解放される。この誘惑は軽井沢にいる間去らなかった。
ここにきてようやく私は静かになることができた。もうすでに六十歳である。私は孤独な百姓女として最後の生活を全うしたい。
ただ絵だけは描き続ける。絵を描き続けるために朝は未明に起きる。花をつくるのもすべて、この愛の心につながる。私は健康で百歳までも描き続けたい。これから私のなすことは絵画の熟すことである。
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これは彼女が六十歳のときの文であるが、彼女はさらに63歳で渡仏し、時々は個展のために帰国するが、ずっとフランスで過ごし、82歳でスペインに滞在、84歳でついに帰国、さらに絵を描き続け、94歳でこの世を去った。
こんなに激しく、感性豊かで真摯な女性がいたことに強く心を打たれた。
心が弱くなったときに、読み返したい文である。
彼女の生涯については、↓のサイトをどうぞ。
http://s-migishi.com/profile/index.html
困った...
ここ数日、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に捕まっている。
ちょっとでも時間があったら、読み耽ってる。
部屋は散らかってるし、庭仕事はたまっているし、食事の用意は遅れるし...
でも、面白いからつい読んじゃう。
上下あるんだけど、上を読んだところだ。
文体が好き。クールで素敵だ。
登場人物がユニークでいい。
羊男に会う場面なんて、ちょっとドキドキ...
そういえば、私は以前、大学のエレベーターに夜、一人で乗り込んで、真っ暗な階に途中で止まってしまって、すごく怖い思いをしたことがあったなあ...なんだかその場面みたいだった。
こちら側の世界にいるために踊り続ける「僕」。複雑なステップを踏んで、運命の迷路を進んでいかなくちゃならない。
ところで、私のステップはとっても単純でスローになった気がするよ。
もう、複雑なステップは踏めそうもない。
このままゆっくり進んで行こう。
(写真は去年撮ったササユリ。今年も見に行きたいな。もう、咲いてるかな?)
夕方、すごい雷雨になった。
ちょうど日本語のレッスンで、「四日間の奇跡」というマンガの落雷のシーンを読んだすぐあとに雷雨になったので、驚いた。
昨日の夜、「風味絶佳」を読んだので、そのことを書く。
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「風味絶佳」(山田詠美著 文芸春秋)を読んだ。
六つの短編が収まっている。主人公は肉体の技術をなりわいとする人々だ。トビ職、引越し業者、汚水槽清掃業者、火葬業者etc...
私の知らない世界が垣間見られて興味深い。私が知ってる手に職を持つ人々と言えば、大工さんと庭師さん...かな?
少しだけ接したことのあるのは引越し業者さんと火葬業者さん。
結局のところ、あまりよく知らないのだ。
肉体の技術を持っているということは、文字通り、体をはって生きるということで、それはほんとうにすごいことだと思う。
それぞれの人たちの生き様が活き活きと語られている。
そして、男女の様々な関係も。(あんまりべたべたしてる関係には、ちょっと食傷気味になったりもしたけど...私はあっさり風味がいいよ)
短編集の中で2話目の「夕餉」は、まるでお料理のレシピみたい。読んでると、とってもおいしそうで「こんなミネストローネ」作りたいなんて思ってしまう。夫がゴミ収集の仕事をしているので、妻はゴミの分別もしっかりしている。
このやり方、我が家と同じだな。私もちゃんとやってるじゃん、とちょっと安心した。
表題と同じ「風味絶佳」の主人公のおばあちゃん(....と呼んではいけないのだった...グランマあるいは不二ちゃんと呼ばないといけないらしい)がすごく気に入った。米軍基地の近くでカウンターバーを営んでいる彼女のキップの良さに惚れ惚れする。宮崎駿のアニメに出てくるおばあちゃんみたい。
私は、繊細でこわれそうな女の子より、こんなスカッとした女性が好きだなあ。
それぞれの話に作者の尊敬と愛情が感じられる風味豊かな小説だった。
最近読んだ本のことを書く。
☆「対岸の彼女」角田光代著 文芸春秋
若いとき、対人コミュニケーションが苦手だった二人の女性の友情を描いた小説。
一人は娘が一人いる母親、小夜子。公園でも他の母親たちと打ち解けられず、娘も友だちができないので、保育園にやれば友達ができるか、と思って就職することにする。
もう一人は小夜子が就職した会社の社長、葵。独身。旅行関係の仕事からハウスクリーニングに手を広げてる。小夜子は掃除婦としてそこで働くことになる。
葵も小夜子も高校生のとき、女子高生のグループ内での陰湿ないじめや仲間はずれを経験し、葵は一人の友人ナナコを守りきれなかったことがある。
その様子を読んだときは、本当にやりきれない気持ちになった。
女子高生のいじめ...恐いなあ。
ちょっと誘いを断っただけで、ちょっと他の仲間と違っただけで、グループからはじきだされる。
それに対する対処法は、「一人でも平気」という精神だ。
ナナコが言っていた。
「何もこわくなんかない。こんなところにあたしの大事なものはない。
いやなら関わらなければいい。とても簡単なことなんだ。」
ナナコがいなくなって、ひとりぼっちになってから、葵はその言葉の意味を理解する。
大人になってからも、母親同士で、高校生と同じような確執が存在する。
たとえば働く母親と専業主婦。こどもを塾に通わせる母親と通わせない母親。それぞれにグループを作って架空の敵をつくり、一時、強く団結する。でも、ちょっとしたことで、だれかが仲間はずれになったりする。
葵の言葉。
「私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?
友だちが多い子は明るい子、友だちのいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思いこまされてんだよね。
――――けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友だちよりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね。」
私たちは何のために年を重ねていくんだろう?
そう考えると寂しくなってしまうけど、最後の葵と小夜子の全然立場は違うのに変わらない友情にほっとさせられた。
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